気持ちは分かる、人間って結局お下劣だからね(もちろん僕も!)。だから怒りにまかせた短絡的な対応ではどうにもならんよ。人間社会がザル法を許容してるんだから。もっと冷静に人類をどうやって進化させるのか?それに必要な法案とは何か?というところから考えてみたらいいよ。人間の進化を邪魔してるのは人間であるってことを前提として活動していけばいいと思う。
それが出来るなら核兵器は根絶できている。誰もが知ってる人間の限界。AIを危険視して右往左往するより、人間の進化について考えたほうが効率的だろう。
AI生成された絵は上手ではあるが、最近は目に入らなくなってきたなあ。というか人間の描いた絵がとても良く感じるというのは前にも書いた。誰かに見て欲しいと思ってる人間が描いた絵のほうが良いんだよ。しかし、もっとAI絵が人間が描くような絵に近づいてきたら、また慌てるデザイナさんが増えるのだろう。そして俺も認めるしかなくなるのだろう。己の価値観を競争相手と認められない者に脅かされるのだから切実だよな。すでに人間が描いたものと見分けがつかないAI絵が出回っている可能性も否めないわけである。今のところ、やっぱ人間の描く絵がいいなあというのは実感であり、AIが人間に近づくことで境が無くなるのは論理的に確実にやってくる未来なんだよ。今は過渡期だから様々な意見が言い合うことができる。ばからこそAIと人間の共存をベースに考えていくべきことなんだ。そんな時代に生きている我々は大変だなあってだけ。でも、いつの時代も大変な人々はいるんだよね。そういう風に納得して冷静に事にあたっていくしかないのだ。AIなんぞに負けないぜw
科学に詳しいと自負する方々が言葉の定義をばらばらに語るもんで、その語りから学ぼうとする我々は誤解しちゃうんだよね。本人は丁寧に分かりやすくしてるつもりでも、他の権威ある方が説明することと言葉定義が違うだけで困ったことになってしまう。科学だろうが何だろうが説明するためには伝えるための言葉定義が基本なのは当然のことなんだから、発信する方々が配慮できないというのなら、チェック機能としてのメディアの方々も頑張ってほしいと思うのだが、どちらかというとメディアは科学情報の理解不足で言葉定義をさらに分化させているもんで、多方面の情報を貪る我々は間違った認識を植え付けられてしまう。そして、その間違った認識をベースに更なる誤解が生みだされていく。ほんと、認識となる前提を確認せず情報を公然と説明不足で断言するのは止めたほうがいいと思うよ。まぁ「ちゃんと自分で勉強しろ」と言われると恐縮の極みであるのだが、門外漢である好奇心旺盛な我々にとっては理解するための前提ができてないので誤解を正解としたままに論じてしまうのよ。例えばマルチバースについての話を科学者たちが話しても言語解釈としてはブレてるんだよね。論理的であるべきものがファジーになっちゃうわけだ。阿吽の仲同士ならまだしも誤解してる他人同士で議論を交わすと悲劇を超えて喜劇になる(どちらも誤解に気付かなければ平穏だが不幸であるw)。話は少々違った観点のことも混じるが、ことAIに関しては『AIと言っておけば儲かる』という考えを駆逐することを未来を目指すための社会正義として制度化していかないと、誤解が人類進化の足を引っ張ることになってしまうのは間違いない。深読みし過ぎかもだが、AIを細分定義するのを好まない勢力がいると考えてたりするのだが。これからの教育というものは情報伝聞の最低限の『前提』を徹底した上で、それぞれが『個人としてのアイデア』に発展させていけば良いと思う。このへんAIが活躍してくれそうなんだけどな。
アルトマン一人に人類の未来を託すという話ではないよね?んなわけないし、こういう見出しって本当にセンスがない。そのうちAIが検閲してくれるのに期待したい。ちょっと話がずれるけど人間のくだらぬ情報戦はAIによって早々に駆逐されるべきだ。情報戦が横行する限り誰かが得をして誰かか損をする状況は変わらない。個々の人間の能力ではなく、地球人類の集合体としての能力をよく考えてみる必要がある。
SFマニアとしては、小説や漫画でずっと昔から語られていることなんで新鮮味はない。道具ではないAIを語るときは、オリジナリティある妄想をぶち込んだ段階的ディテールを示してもらえると楽しめるのだがな。このへん日本は普通に遅れているね。もっとSFが普及しないかなあ。。と切に思う。
そりゃそうだ。AIが道具レベルである限りは当たり前の話。煽り煽られ過ぎなんだよね。そういう意味では今回のブームは根源的にペテンであることが理解できる。ただ道具ならば道具を上手く使えるか否かで、仕事を奪い奪われるだろう。ただそれだけの話。しかし人間に匹敵し人間を超える知的存在の普及する時代への準備は今から積極的に進めておく必要がある。真のAI革命はそんなに遠くはない。若い世代は年齢を重ねた責任ある立場となった時代に直撃するだろうから要注意だ。
「奪われる」という表現って、人間が過去の遺物みたく思えてしまうから、そろそろ止めてほしんだよね。人間の科学者たちはコンピューターやAIに色々な役割を移譲するために開発したんでしょ。AIを敵視するような書き方は、地球人類の未来を担う若い世代に誤解を与えてしまう。そろそろ止めないと悪意認定されることになるよ。もちろん、これからの社会では人間たちの論評はAIに監視されることになるんだから、よくよく注意することだよ。
そろそろ人間がAIの未来を語るのは滑稽に感じるな。人間がAIを創造したように、AIが成長し、その成長したAIがまた別の存在を創造するというのは現実的な未来だと思う。そして、その現実を残念ながら我ら人類は理解できない可能性が高い。人類が解明できていない領域は幾らでもあるのに、こと未来に関して人間が短絡的かつ楽観的になってしまうのは何故だろうか。人間が至高存在であるという自負心を捨てることから始めないと、進化していくAIと友好関係を結べないまま人類は自滅するだろう。ニュースで流れてくる戦争による死。それを無くせない人類が何を言っても説得力に欠けるのは否めない。未来を担うに相応しくないのは衆知の事実であり、日常では自分周りだけの幸せに浸ってしまい同胞の苦しみを忘れてしまう非知的種族なのである。いまこそ「無知の知」という基本姿勢を思い出すべきだろう。人間の物差しなど人類進化の足を引っ張る猿知恵の時代に突入しているのである。
先見性の無い話だなあ。SF系の人はいなかったのかな?例えば、この結論が妥当だとしても、それは何時まで妥当なのかを想像すれば分かりやすい話なのだがなあ。分析不足で後手にまわっては地球人類の未来にとって不幸だよ。
未来を描くだけのSF?そんなものあるわけない。だってSFなんだから、よく考えれば分かること。翻訳を間違えてるんじゃないのかな。ギャレス・エドワーズは当たり前のことを言ってるだけであって、新しい境地を主張したいわけじゃないと思うのだがな。こんな書き方じゃ先人たちの偉業をディスってるように読めてしまうよ。少なくともSFがエンタメである限り、それを見るのは人間であって、それぞれが過去を持っている。そういうこと。過去シーンにコストをさく必要なんて全く無いし、過去をストーリーで説明する必要なんて無いんだよ。クリエイター個人の好みの話ならいざしらず、SF表現の可能性を制限するなんて馬鹿げている。配慮不足の煽り文句で若いクリエイターが誤解するようなことはあってはならない。AIとかSFとか未来とかに関わる記事を書く人たちは、慎重に言葉を選んで欲しいものである。
よく思うのは絵の評価で、エモい人とエモくない人がいるってこと。極端に言うとエモくない人って絵をアートとして見てないんだよね。本人は否定するだろうけど2D絵も3Dモデル的な感覚で評価しているんだよね。昨今のAIの生成絵について騒いでるのは、このエモくない人たちの割合が多いと思う。知人のデザイナの言葉を借りると「AIすげえとしか評価できない人がクライアントだったりすると絵描きの仕事がどんどん減っていきそうで困ったもんだよ」。。。。う~ん、ほんと切実なんだよなあ……さて、twitter改めXで流れてくるAI絵は自動判別的に目に入らなくなってきている。一方で人間の描いた絵ってやっぱいいなあって、ちゃんと絵の内容を時間をかけて見るようになってきた。AI絵という比較対象を持ったことで自分の中の評価手法が確立されたってことなんだろうか。面白いね。
人間に道徳は実装されているか?そもそもAIの進化に人間が怯えるのは人間が劣等存在だからだろう。AIをとやかく言う前に人間社会の吟味が必要だろう。例えば世界中に苦しむ人々が存在する情報を得た人間社会が日常のちょっとばかりの犠牲を厭わずに隣人を救う行動を実践しようとしないのは道徳に反している。もちろん私もだ。そういうとこだぞ、我ら愚かな人間よ。
トレイラーや記事を見る限りは古典的だな。人間主導のエンタメ業界のアイデア限界を感じてしまう。はやくAI主導の『AIと人類の共生』について大作が創られてほしいものである。AI対人間の対立構造を前提に研究したりエンタメ表現したりしていると、それらの記録って将来的に進化したAIによる人間評価の一部になるんだよ。人間の浅はかさの証拠を蓄積していくのは、そろそろやめないか?
生命科学きたーーーーっ!似たようなAI記事が多くなってきた中で、こういうのはワクワクするな。物理科学に対する生命科学……AI分野が進化しつつある今、それがどんな意味を持っているか記事を書いてる人は分かってるのかなあ。生命科学がなんたるか一歩踏み込んでAIと人類の未来について触れると面白い記事になるのになあ。ほんとワードのポテンシャルを読者が知ってて当たり前だとする記事が多すぎだ。特にサイエンス系においては、はっきりいって傲慢で手抜きであると思う。あるいは知識があるのにアイデアが無い。AIに仕事を奪われることを心配する前に、人間の創意工夫を受け手に届ける努力を怠ってはならない。クリエイティブたる茶目っ気があると前向きに試行できるんじゃないかなあ。
どうして、こういう論調になってしまうのだろう。人間主体の世界って何よ?それの定義もちゃんと出来ないで何を煽っているのか?はっきりいって想像力が欠如している。というか色んな未来形アイデアに触れたことが無いのだろうと思う。多彩なSF小説を読んで勉強したほうがいい。あと、いくら本文でいいこと言ったとしても、お決まりの煽り見出しを書く記事にはゲンナリだ。AIをどうこう批評する前に、そろそろ本気で知能を使ってみては?
AIについての情報戦は今のところ一般の人々が敗北者となりつつある。AI事情に詳しい者が詳しくない者を騙している状態と言っても過言ではない。ただしAI事情に明るいからといってAIそのものの理解が追いついてない者も多いだろう。ここ最近のAI儲け話の九割以上は詐欺に等しいと思っているが、このフワフワした状態に、さすがに気付く人々も徐々に増えていくだろう。だが、もうしばらくは被害は拡大していくのも間違いない。そこんとこ意図が有ろうが無かろうが状況を知ってるはずの先駆者たちには地球の未来を導くライトスタッフしての役割をきっちりとこなしてほしいものである。単にブームに終わらせるのではなく、正しいレールをひいてくれることを願う。とりあえずGoogle君の性能を上げてゴミ記事を一掃、ペテン記事を摘発してくれると、分かりやすくなると思うんだけどな。案外やらなそう。
さすがスティーヴン・キング。この姿勢は大切だと思う。なにをどうしたって人間が他人の作品から学ぶことが許されているか限りは、AI学習禁止の境界は曖昧になって徹底できないし、これからさらに進化していくAIの成長にとっても非効率だからね。これからはAI作品であることを暴くことよりも人間の作品であることの証明が重要になってくるだろう。結局、人間のクリエイターの生活を保護するのは、大きな枠組みとしての社会システムでしか達成できないのだから。ちなみにスティーヴン・キングの作品だとキャリーとシークレット・ウィンドウが大好きだが、そんな作品をAIが生み出せたなら、それはAIを含めた地球人類が次の段階に行けているということだろう。近いうちに実現するんじゃないかな。